LOGINアデルが選んだ馬車は、王城から用意したものではなかった。御者を知っている近所の女に頼み、護衛の兵には川沿いの分かれ道で合流してもらう。人数は二人、制服ではなく旅装で、家の前には来ない。それが彼女から届いた返事だった。
ダリオは手紙を読み終えると、「こちらが考えていたより、よほど行き届いている」と言った。私は同感だったが、少しだけ胸が痛んだ。夫が帰らないあいだ、アデルは娘を連れてどこへ行くにも、誰が見ているかを確かめていたのだろう。 診療所の医師からは、娘を会わせることに支障はないが、オーウェンの脚は長く立っていられないので、最初は座って話してほしいと返事が来た。私はそれをアデルに伝え、同席を望むなら部屋に残るし、家族だけで話したければ外へ出ると書いた。彼女の返事は短かった。『最初だけ、いてください。顔を見た途端、私が何を言うかわからないので』 国境の診療所に着くと、アデルは先に来ていた。娘は彼女の外套の裾をつかみ、廊下の窓に並ぶ薬草の鉢を眺めている。アデルは私に気づくと、挨拶より先に夫の様子を尋ねた。「脚は、家まで歩ける診療所から戻って二日後、長老会の返書が届いた。封を切る前から、差出人の名が四つ並んでいるのを見て、話が簡単には進まないとわかった。私が群れを出た日、同じ四人が私の申し開きを聞いた。聞いたうえで、原本を見せずに私を追い出した人たちだった。 執務室にはヴィンとエイドリアンがいた。私は一人で読みたいと言いかけたが、今は仕事として扱っている書状だと思い直し、机の上で広げた。 長老会は、搬出命令書と損失の書類が手元にあることを認めていた。ただし、盗難を調べている最中の原本を王城へ送ることはできないという。代わりに、長老たちの立ち会いのもとで閲覧を認める、とある。最後には、原本の保管責任について私にも理解を求める一文が添えられていた。「保管するのは当然です。でも、あのとき私には見せてくれなかった」 思わず口にすると、ヴィンが書状の最後を指した。もう一枚、別の紙が挟まっている。ガレス自身の返答だった。『リヴィア・フェンは、自ら文書を確認して署名した。内容を見せなかったとの主張は事実と異なる。彼女が王城に滞在している間に以前の発言を変えた理由についても、確認が必要である』 文章は整っていた。私が確かに署名したことと、そこに書かれた命令を承認したことを、一つの話として読ませる書き方だった。「以前の発言って、何を指しているんでしょう」とヴィンが尋ねた。「群れの広間で、私が『自分の署名です』と言ったことだと思います。署名を偽物だとは言っていません。その後、書類を開いて初めて搬出命令の文面を見たんです」「そこを書けばいい。いつ何を認めたのか、分けて返そう」とエイドリアンが言った。 私がうなずくと、彼は返書を取り上げず、私が写しを作るのを待った。ガレスの文面には腹が立つ。それ以上に、彼ならこういう書き方をする、とわかってしまうのが嫌だった。曖昧なところを残し、相手が抗議すれば細かな言葉の違いに見せる。商人との交渉で、私は何度もその手際に助けられたことがある。 午後、別の便がイーダの手紙を運んできた。封筒には、私が昔、帳簿の仕分けに使っていた小さな印が押してある。手紙の冒頭でイーダは、私が群れを出る日に預けた古い帳簿を無事に運べてよかった、と今さら書いていた
アデルが選んだ馬車は、王城から用意したものではなかった。御者を知っている近所の女に頼み、護衛の兵には川沿いの分かれ道で合流してもらう。人数は二人、制服ではなく旅装で、家の前には来ない。それが彼女から届いた返事だった。 ダリオは手紙を読み終えると、「こちらが考えていたより、よほど行き届いている」と言った。私は同感だったが、少しだけ胸が痛んだ。夫が帰らないあいだ、アデルは娘を連れてどこへ行くにも、誰が見ているかを確かめていたのだろう。 診療所の医師からは、娘を会わせることに支障はないが、オーウェンの脚は長く立っていられないので、最初は座って話してほしいと返事が来た。私はそれをアデルに伝え、同席を望むなら部屋に残るし、家族だけで話したければ外へ出ると書いた。彼女の返事は短かった。『最初だけ、いてください。顔を見た途端、私が何を言うかわからないので』 国境の診療所に着くと、アデルは先に来ていた。娘は彼女の外套の裾をつかみ、廊下の窓に並ぶ薬草の鉢を眺めている。アデルは私に気づくと、挨拶より先に夫の様子を尋ねた。「脚は、家まで歩けるくらいには治っているんですか」「短い距離なら歩けます。でも、医師は無理をさせないでほしいと言っていました」「帰ってこいと言うつもりで来たわけじゃありません」 少しきつい声になったのを気にしたのか、アデルは娘の髪を撫でた。私は言葉を急がず、診療所の中庭を使って娘が先に休めること、会いたくなくなったら途中で部屋を出られることだけ伝えた。「この子には、父親が生きていたと話しました。会いたいかとも聞きました。最初は黙っていたけれど、昨日、自分で行くと言ったんです」 娘は窓からこちらへ顔を向け、母親の外套を離した。「お父さん、私のこと覚えてる?」 答えを知っているふりはできなかった。「あなたのことを、最初に尋ねていました。会ったときの顔は、私よりお父さんに聞いてみて」 娘は小さくうなずいた。アデルは私に礼を言わず、かといって怒りもしなかった。ただ娘の手を取り、奥の扉へ向かった。 オーウェンは椅子に座って待っていた。膝には、青い紐のついた革の小銭入れが置かれている。戸が開くと立と
窯を借りた男の署名は、朝の光に透かしても読み取れなかった。筆の終わりだけが紙に深く食い込み、前半は急いで書き流したように潰れている。私は昨夜から何度も眺めていたが、読めるはずだと思い込むほど、知っている名前に見えてしまう。「ここで名前を決めるのはやめましょう」 私が帳面を閉じると、ヴィンはうなずいた。彼も同じ署名を別の紙に何通りか写していたが、どれにも自信がないらしい。「代金の受け取り先から追えます。現金払いでも、窯を借りる前に誰が道を通したかは残るはずです。国境の荷を王城へ入れる許可を調べてみます」 通行の控えを探しに行ったヴィンの背中を見送り、私は窯から預かった銀板と、三台目の馬車で採った粉についての記録を並べ直した。どちらも行き先を証明するには足りない。だからこそ、書類を一枚見つけるたびに犯人の名前を先回りして書きたくなる気持ちを、抑えなければならなかった。 昼前、ヴィンが戻ってきた。抱えていたのは通行記録ではなく、厚い人事簿だった。「クレイン商会の名義で、昨冬に王城北倉への荷の搬入申請が出ています。その控えを探していたら、王廷の補給官を選ぶための書類にも同じ申請番号があったんです。荷の申請を、職を求める際の実績として使っています」「誰が?」 ヴィンは私を見て、答える前に簿冊を机へ置いた。「ガレス・ロウです」 知っている名前なのに、耳に入った途端、しばらく意味を結ばなかった。ガレスが地位を欲しがっていたのは昔から知っている。領内の役職では満足せず、王城で仕事をしたいとも言っていた。私が驚いたのは、その願いが窯の荷と同じ書類に現れたことより、いつの間にか私は、彼の望みを深く考えるのをやめていたからかもしれない。 人事簿には、北倉の補給監督補佐を求める申請が綴じられていた。冬の荷が行方不明になる前に、ガレス自身が署名している。添付された事業計画では、自分の群れとクレイン商会が冬道の輸送を整え、王城の補給費を減らせると訴えていた。荷の搬入実績が認められれば、補佐の選考を進めてほしいともある。 そして、その後ろに挟まれた写しに、私の署名があった。『王城北倉向け物資の搬出命令を確認し、記載の荷を引き渡す』
南の古い精錬路へ入る前に、私たちは橋のたもとで馬を降りた。ヴィンが見つけた修繕費の控えには、春に架け直した欄干の長さまで記されている。実際に見ると、片側の木だけ色が新しく、橋板には荷馬車の車輪が通る二本の筋が深く残っていた。 ダリオが三台目の馬車から採った灰色の粉を、小さな紙包みごと職人に見せる。橋の補修を請け負った男は、指につけて匂いを確かめたあと、顔をしかめた。「窯の灰ですね。ここから先へ運ぶなら、春は馬車を軽くしないと橋がもちません。冬は欄干を壊したまま通したやつがいて、その修繕を私らがやったんです。誰の馬車かまでは見ていませんが」 橋を通ったのがオーウェンの荷だとは、まだ言えない。私は修繕の日付と職人の名を書き留めた。ダリオが橋板の筋を調べているあいだ、エイドリアンは川上に続く道を見ていた。「窯まで馬で行けるか」「行けます。ただ、あそこには今も人がいますよ。古い窯を使って細々と仕事をしている連中です。勝手に押し入れば、見せてくれるものも隠すでしょう」 職人の忠告を受け、私たちは護衛を橋に残して三人で向かった。窯の入口には割れた鉢と石炭袋が積まれ、炉からは細い煙が上がっている。すでに誰もいない場所を想像していた私は、仕事中の人たちを見て少し恥ずかしくなった。ここには、昨日までの暮らしがある。 責任者だという女は、王の名を聞いても帳面を胸に抱えたままだった。「うちは税を納めています。王様が来たからといって、釜の中身を全部ひっくり返されたら明日の仕事が止まります」「必要なものだけ見せてほしい。仕事の損失が出たら記録して払う」とエイドリアンが答える。「後で払うと言われて、後で払ってもらえた経験があまりないんですよ」 女はすぐに引かなかった。私は橋で採った粉の包みを出し、炉そのものより、昨冬にここへ来た荷と粉の由来を知りたいのだと説明した。彼女は私の帳簿とエイドリアンの顔を見比べ、窯の裏にある棚だけを案内すると決めた。「荷主の名前を知りたいなら、うちの控えを読んでください。ただし持って帰らないで。前に役人に原本を持っていかれて、返してもらうまで仕入れを二重に払いました」 彼女の警戒には理由があった。私たちはそ
城へ戻った翌朝、ヴィンが南の街道図を机いっぱいに広げた。紙の端を文鎮で押さえても、長く巻かれていた癖が抜けず、精錬路のあたりが丸まって見えなくなる。私が帳簿を重しにすると、ヴィンはようやく道を指で追えるようになった。「オーウェンさんが言った窯は、ここでしょう。古い精錬路は冬でも通れますが、荷を積んだ馬車には狭い。三台とも向かったなら、途中で車を替えたはずです」「三台目は車輪の番号が削られていたわ。替えた車かもしれないし、あとで別の場所を走っただけかもしれない。今ある記録だけでは、つなげられないわね」「そう言われると思って、修繕代の控えも持ってきました」 ヴィンは得意そうに薄い綴りを差し出した。昨年の冬、精錬路沿いの橋は雪で欄干を傷め、春先に補修されている。通れなかった証拠にはならないが、道幅や車輪の跡が残った場所を探す手がかりにはなる。私が礼を言うと、彼は「褒めるのは帰ってきてからにしてください」と答えた。「ダリオさんはアデルさんの家へ行っています。返事が届くまでは、こちらも動きすぎないほうがいいでしょう。守る相手がいる捜査って、帳簿を読むより気を使いますね」 以前の私なら、そこまで考えただろうか。損失の数字は追ったのに、戻らなかった御者の名前を追わなかった。その後悔に足を止められたくはないが、忘れて仕事を手早く済ませた気にもなれなかった。 昼を過ぎてダリオが戻り、私はヴィンと一緒に報告を聞いた。アデルの家の周囲に不審な人影はなく、兵は離れた二か所に配置したという。オーウェンの手紙は、ダリオが直接渡した。「奥方は、最初の一行を読んだところで座り込みました。しばらくして全部読み終えると、泣くのをやめて、あいつは脚をどうしたのかと私に聞いた。事情を話したら、今度は怒りだしたよ」「何に?」「本人が生きていてよかったことと、知らせを寄越さなかったことは別だ、と。ずいぶん正確な言い分だった。あの場では、私も余計な口を挟めなかった」 ダリオは大きな手で封書を一通、机へ置いた。アデルからの返事だった。オーウェンに直接渡してほしいと書かれた宛名の下に、私たちへの短い伝言が添えてある。娘を伴って会うつもりだが、家の安全と道中の護衛を自分でも確かめた
診療所からの返事には、名前が書かれていなかった。『お尋ねの冬の輸送について、話をしたいという者がおります。本人の希望により、会うまでは所在を公にしないでください』 それだけでも、便箋を持つ私の指は落ち着かなかった。エリアスの話を聞いたあと、私たちは輸送路沿いの宿と診療所に、オーウェン・ベルの人相と荷馬車の事故の記録を尋ねていた。返事の大半は「心当たりなし」だったから、この一通にも期待しすぎまいと決めていたのに、出発の支度をするあいだ、私は何度もアデルの顔を思い出した。 国境の診療所は、川沿いの粉挽き小屋を改めた建物だった。戸口には乾いた薬草が吊られ、奥から石臼ではなく、湯を沸かす鍋の音が聞こえる。エイドリアンは護衛を外に残し、私とダリオだけを伴って中へ入った。 迎えた年配の医師は、王の顔を見ても腰を折らなかった。「先に断っておきますが、ここで暮らす人間を、診察台から引きずり下ろすような真似はさせません。あの人は手紙の内容を読み、自分で会うと言いました」「それでいい」 エイドリアンが答えると、医師はようやく廊下の先を示した。診療所の保護を頼っている人なら、王が来たこと自体、脅しに見えるかもしれない。私は部屋へ向かう前に、そのことをエイドリアンに小声で伝えた。「まず、私から話してもいいでしょうか。帳簿で名前を見つけたのは私ですし、彼の奥さんにも会いました」「わかった。私はここで待つ。彼が望まなければ入らない」 飾り気のない返事だった。私は安心した半面、自分だけが先にアデルの夫と会うことに、奇妙な後ろめたさも覚えた。 小部屋には窓が一つあり、洗った布が日の当たるところに掛けられていた。机の前に立つ男は私より少し年上に見え、左脚をかばっていた。衣服は清潔だが、袖口は何度も繕われている。名乗る前に、彼は私の手にある古い帳簿へ目を留めた。「まだ、あれが残っていたんですね」「オーウェン・ベルさんですか」「ええ。先に聞かせてください。妻と娘は生きていますか」 問いに勢いはなく、そのぶん、答えを待つ間の長さが痛かった。「お二人とも生きています。アデルさんには先日お会いしました。娘さんも一緒







